平成最後の日、自分自身の平成における30年と4ヶ月を振り返ってみる

平成の30年と4ヶ月で、落合正和はどのように作られてきたのか自ら振り返ってみる

あと数時間で平成が終わってしまうようです。

人生の大半を、そして青春時代を過ごした平成が終わってしまうのは寂しいようにも感じますが、『令和』の時代に向けて、新たに再スタートを切るためにも、ここで一度平成を振りかえってみようかと思います。

今回はブログともSNSとも何の関係もございません。

はっきり言ってただの自分語りです。

平成の30年と4ヶ月で、落合正和はどのように作られてきたのか?私の人生に興味のある奇特な方だけ、お読みいただければ幸いです。

まだまだ未熟者ですし、今よりもさらに未熟な時代の事も書いているので、正直、不快な表記も多いかと思いますが、軽く読み流して頂ければ嬉しいです。

最初だけ読むとスゲー嫌な奴に見えてしまうので、最後まで読んでね!

柔道時代(平成元年〜平成10年)

平成のはじまりは突然訪れました。

昭和天皇の崩御。私はまだ小学生、何もわからない年齢でしたが、朝、“起きてはならぬことが起きた!”という感覚と共に目を覚ました記憶があります。

そういえば、祖父を亡くした時もそうでした。

祖父が亡くなったことを伝える電話。そのベルの音が鳴った瞬間に「あっ…お祖父ちゃんが亡くなったんだ」と一瞬でわかりました。

不思議なもので、人間にはそのような第六感のようなものがあるのかもしれません。

そして、この平成元年に運命の出会いがあります。それは『柔道』との出会い。今の私は柔道無しでは語れません。

私の人生の骨格は間違いなく柔道によって作られました。人生の軸であり、私の全てを支えているのは柔道です。

私の物事の考え方や、後に大きな影響を与える成功体験、失敗経験、ひとつの道に真剣に打ち込む事、それらを得られたのは全て柔道のおかげです。

小学校5年生で柔道をはじめた私は、千葉県内では上位の成績ではありましたが、目立った成績をおさめられないまま、平成10年に競技の第一線から退きました。(なぜか齧っただけのレスリングでは千葉県を制した)

この期間はとにかく柔道に打ち込んだ、柔道に全てを捧げた10年間でした。

柔道
柔道時代の私。この頃は高校生。一番右奥はオリンピックアメリカ代表の一歩手前まで行った私の尊敬する大先輩。

私の通っていた柔道場や、中学、高校、大学の柔道部は、オリンピックや世界選手権に何人もの選手を送り出しているほどの道場。その環境で育てて頂いたことには感謝の気持ちしかありません。

私の道場の先生は、木村政彦先生の愛弟子。高校、大学では岡野功先生の指導を受けました。高校時代の柔道部顧問は山下泰裕先生と共に国体を優勝し、サンボ世界3位まで上り詰めた先生でした。(柔道を経験された方には、どれだけ贅沢な練習環境かご理解いただけると思います。)

同級生はインターハイを制し、2つ下の後輩は世界選手権に出場しました。もう少し下の後輩はオリンピックにも出場しています。

当時は毎日の稽古に必死で、その環境がどれだけ贅沢なものだったか気づいていませんでした。もっと努力すれば良かったのに…と、今になって思います。

私の根底にはそのような体育会系の血が流れています。

柔道時代に教わった『継続は力なり』、『柔能く剛を制す』、『精力善用・自他共栄』という言葉は、私の脳に二度と消せないほど染み付いています。成せているかどうかは別として…

ともあれ、この柔道経験で私はだいぶ鍛えられました。

指を骨折していても、38℃の熱でも練習はしていましたし、恐ろしいほど強い人達と乱取り(スパーリング)も繰り返しました。太鼓のバチで人の頭をかち割るような怖すぎる先生も多数見てきました。

ちょっとやそっとの事ではビビらなくなりましたし、随分と図太い人間に成長したと思います。(怖くない人に対し、怖がるフリをして相手を満足させる術もこの頃覚えた)

その成果なのか、その後に就職した先の上司がどんなに怒鳴ろうが、高圧的な態度に出ようが、全く怖いと思ったことはありません。どんなに叱られても、柔道時代の経験を持った私の心の中では、『この人、必死に怒鳴ってるけど、いざとなれば簡単に力で捩じ伏せてやれるんだよな…』と思うと、煩い上司も滑稽な存在にしか見えなくなってしまいました。

伝説の柔道家である木村政彦先生や牛島辰熊先生の本を読むと、その恐ろしさに今でも震えますが、未だ人生において柔道家以外の人を怖いと思ったことはありません。

サラリーマン時代〜ブログの開始(平成10年〜平成20年)

この10年間はサラリーマン時代と言って良いでしょう。

最初の就職した会社は休みもほとんどなく、オラついた上司も多い職場ではありましたが、前述の通り、怖がるフリをして上手に世渡りをしながらも、上司を舐めまくっていた記憶しかありません。

就職して数年した頃、何となくブラジリアン柔術の大会に出たことがありました。柔道の第一線を離れて数年のブランクがあったため、不安はありましたが、東京都チャンピオンから試合開始わずか数秒、腕がらみで一本勝ち。

しかしこの経験は少し良く無い方向に自分を導いてしまいます。『俺ってまだ強いんだ』と、過剰な自信を産んでしまったことが職場にも影響。上司に怒鳴られた際に、睨みつけて『○○○』と言ってしまったことで、昇進の機会を失いました(それが原因と断定は出来ないが…)

まだ若かった。これについては本当に反省しています。(現在はだいぶ謙虚になったと思います。。)

成績は営業所で一番だったのに、後輩が昇進するという結果に。納得がいかず転職することになります。同時に自分はサラリーマンの世界ではやっていけないと悟った瞬間でもありました。

その反省を活かし、『数年サラリーマンで経験値を積んで、起業しよう!』と、一念発起。尊敬する事業家の会社に転職します。

転職先では全ての経験を糧にしようと、あらゆる事をメモするメモ魔と化しました。

この頃の経験は今でも活きています。起業後の最初のメイン事業となった、『商圏分析』のノウハウもこの時に会得することができました。起業への想いをより強くした一冊の本『金持ち父さん 貧乏父さん』に出会ったのもこの頃です。(この本を読んで何故投資ではなく、起業に向かったのかは自分でも謎ですが…)

その後、引き抜きで別会社にも在籍しましたが、間も無くして個人事業を開始。平成18年の終わり頃からWebを使った情報発信(mixiを活用したグループ投稿や日記)を始め、平成20年からは、その後の私の一番の武器となるブログを開始。

本格的にブロガーとしての活動を始めた『フェイスブックの使い方!Facebook初心者の為の入門基礎講座』を始めたのもこの年でした。

ブログ
ここが私のブロガーとしての原点

このブログは後に月間300万PVを叩き出す人気ブログとなりました。また、ブログを書く事ではじめて

・お客様に貢献すること
・お客様に尽くすこと
・信頼できる人だけとお付き合いすること

を学びました。

もちろん今でも完璧にできるわけではなく、修行中の身ではありますが、この想いは強く持っています。そして、

どうも私は平成元年を起点として、10年おきに大きなターニングポイントを迎える運命にあるようです。

そうそう、この10年は家族ができた時代でもあります。平成14年に結婚。平成16年に長女が生まれ、平成18年に次女が生まれました。

今日も長女を部活に送りましたが、もう高校生。生意気ではありますが、長女、次女の2人とも可愛くて仕方がありません。

今晩も妻と娘の晩御飯は私が作る予定です。「美味しい」と言ってもらえるように頑張ります^^

妻にも事業が軌道に乗るまでは不安な思いをさせてしまったと思います。貯金ゼロ、人脈ゼロで突然サラリーマンを辞めて起業してしまったので…

どこかで恩返しをしなくてはならないと日々感じています。

それにしても時の流れは本当に早いものです…

ブロガー時代(平成21年〜平成31年)

平成20年から本格的にブログを始め、ビジネスが軌道乗り始めたのがこの10年です。

この10年で私の人生は大きく変わりました。人生を変えた要因は、間違いなくブログです。私の人生において柔道の次に支えになったのはブログでしょう。

平成20年から始めたブログ『フェイスブックの使い方!Facebook初心者の為の入門基礎講座』は、平成21年の終わり頃から急激にアクセスが上昇。平成22年の東日本大震災後、爆発的なアクセスを記録します。

震災時、既存のインフラが通じなくなる中、SNSだけはビクともしませんでした。電話も交通網も機能しない中、SNSを家族の安否確認や救助依頼に活用した人も多く、Twitterは前月比137%増、Facebookは前月比127%増と、いずれも大幅にユーザー数を伸ばしています。

こういった影響からか、私のブログはその年月間300万PVを叩き出しました。

この年、私の処女作、『はじめてのFacebook入門 決定版』も出版されました。

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平成20年〜平成21年の約2年間、Facebookの使い方、活用方法を伝える私のブログは全くアクセスが伸びませんでした。周りは『Facebookは実名制。匿名文化のある日本では定着しない』、『mixiが大人気の日本ではFacebookなど使う人はいない』という声が大半でした。

それでも諦めることなく、アクセスがまったく無い二年間もコツコツと更新を続けた自分を褒めてあげたくなります。

しかしながら、一生懸命に育てたそのブログも、平成25年のアメブロ削除祭りを受け、消滅。再スタートを余儀なくされます。

ここからはこのブログで何度も述べている通り。

平成26年に独自ドメイン運用にて再スタート!現在の『ネットメディア研究所』を立ち上げ、平成28年に月間40万PVを達成。その後度重なるサイト攻撃を受けます。

参考:大量の低品質被リンクとミラーサイトの生成によるサイト攻撃を受けました その復旧と対策について

それでも諦めることなくブログを継続。

サイト攻撃により、PVはかなり落ち込みました。

しかしながら、「PVを増やさなくては」という呪縛から解かれたことで、専門性を活かした成約重視のブログ運営に変更したことで、取材や講演依頼、コンサルティングの受注は爆増。(この頃から徹底的に顧客の悩みに寄り添おうという想いも一層強くなりました。

メディア露出に地方創生、インバウンド振興、などの戦略が成功。結果的にブログからの収益が最も大きいのは、300万PV時代でも40万PV時代でもなく、アクセスが最も少ない現在、という状況です。

そして平成31年、この10年にわたるブログ経験から得られたノウハウをまとめた本、『ビジネスを加速させる 専門家ブログ制作・運用の教科書』を出版しました。

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この本の出版が決定する半年ほど前、Facebookグループで「専門家ブログ構築グループ」を立ち上げました。現在では152名の方々が参加してくださっており、多くの方々が、このノウハウで大企業や行政からの仕事を受注し、マスコミに取材され、収益を向上させています。

我ながら見事なノウハウだと思っています。

これまでのブログ戦略とは全く異なる内容なので、気になる方にはぜひお読みいただきたい一冊です。

そして、

ビジネス以外に部分に目を向けると、平成30年に最愛の父との別れがありました。

参考:ごく普通の一般人として生涯を終えた最愛の父。亡くした想いを記録に残そうと思う。〜柏 ペンギンショップと父の思い出〜

10年周期でターニングポイントが訪れますが、これも私にとってはとても大きな出来事。父の存在はどこか心の拠り所のように感じていました。

父を失ったことで、無条件に心を寄せられる場所を失ったような気がして、何にも守られず、自分自身で生きなくてはいけないという想いが強くなりました。

また、平成27年。十数年ぶりにブラジリアン柔術の試合(オープンクラス 無差別級)に出場。決勝戦でプロレスラーを相手に袖車締めで一本勝ち、優勝することができました。まだ柔道貯金は残っていたようです。

金剛力士像前で優勝記念撮影
試合会場が浅草寺に近かったので、金剛力士像前で優勝記念撮影!

もう40歳も過ぎました。令和に入ったらどこかで完全引退試合に出たいと思います。

それにしてもこの10年。失敗も多々ありましたが(プロフィール参照)、テレビや新聞に取材され、本を二冊も書き、国会議員から大学生、高校生の前で講演し、未だプロレスラーにも勝利するなどとは思ってもいませんでした。平成の締めくくりとして、上出来の10年だったと思います。

そして令和へ 〜柔道とブログ、家族、お客様に恩返しができるような人生を〜

もう間も無く、天皇陛下が202年ぶりの譲位をされるそうです。

みなさまも平成最後の日を、それぞれの想いで過ごしていることでしょう。

まだまだ私も頑張って参りますが、まずはこのブログの読者のあなたに、心より御礼を申し上げたいと思います。

ありがとうございます。あなたのお陰で私があります。

さて、平成の30年4ヶ月は、柔道とブログにより私の人生の骨格が形成され、読者のみなさま、お客様に支えられてきた時代でした。

ここからどのような私はどのような人生を送るのか?

ここまでは運良く失敗を跳ね除けてこれた人生だっただけに、私自身、これからの自分には期待と不安でいっぱいです。『頼むぞ!落合』

令和の時代も好奇心旺盛に、そして柔道とブログ、家族、お客様に恩返しができるような人生を送れるように努力して参ります。

近々、本の出版キャンペーンも開催いたします。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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この講座は、お金をかけずとも集客が可能であるブログを中心にFacebook、TwitterなどのSNSを活用し、自分だけのオリジナル情報発信メディアを構築、ビジネスに役立て、収益化していただくための講座です。

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落合正和
株式会社officeZERO−STYLE代表取締役
一般財団法人モバイルスマートタウン推進財団 副理事長兼専務理事
マーケティング・コンサルタント&Webメディア評論家&ブロガー
ブログやSNSを中心としたWebメディア、生成AI活用が専門。ネット事件やサイバー事件、IT業界情勢、インバウンド観光、生成AIリスクなどの解説で、メディア出演多数。 ブログやSNSの活用法や集客術、SEO、リスク管理等の講演のほか、民間シンクタンクにて調査・研究なども行う。 著書: 会社のSNS担当になったらはじめに読む本(すばる舎) ビジネスを加速させる 専門家ブログ制作・運用の教科書(つた書房) はじめてのFacebook入門[決定版](秀和システム)