ごく普通の一般人として生涯を終えた最愛の父。亡くした想いを記録に残そうと思う。〜柏 ペンギンショップと父の思い出〜

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著名人でもなく、ごく普通の一般人として生涯を終えた父(ペンギンのおじさん)の記録です

8月はついに2記事。

サイト攻撃事件以降、復帰する、復帰すると言っておきながら、繰り返し更新が止まる、復帰詐欺状態が続いておりますが、そろそろ安定的な更新を取り戻したいと思っている落合です。

お久しぶりです。

本当は9月からWEB系の記事をドシドシ更新していきたいと思っていた矢先の出来事でした。

またしても、長期のお休みをいただいてしまいました。(ブログの更新だけでは無く、9/3〜9/10は弊社は完全休業となりました)

このお休みの要因は、私の人生にとって非常に大きな出来事だったのです。

9月4日、最愛の父の死です。81歳でした。

当初、父の死を記事にするという行為に抵抗が無かったわけではありません。

しかしながら、私にとってブログという存在は、ビジネスツールでもあり、ライフログでもあります。

そして、私からは連絡先を知りませんが、父の死をしってもらいたい人が存在します。

そのような想いから、

『この出来事を、私のブログに記録しておかねばならない!』

と考えるに至りました。

今回の記事は極めて個人的な内容です。

著名人でもなく、ごく普通の一般人として生涯を終えた父の記録です。(ある意味、有名人でもありましたが。。)

学びになることもありませんし、面白みも無いでしょう。

それでも、賑やかなことが大好きだった父のこと。あなたがこの記事を読んでくれるならば、きっと父は喜ぶと思います。

ペンギンショップの思い出 〜 父とは一度もぶつかることが無く、和やかで寄り添ってきた日々でした

私が生まれてからの父はとにかく忙しいサラリーマンでした。

帰宅はいつも深夜でしたが、朝早くから私を散歩に連れ出したり、自転車の後ろに乗せ、近所に遊びに連れていってくれたことをよく覚えています。

幼かったので詳しいことはわかりませんが、当時は時代の後押しもあり、父の景気がとても良かったのでしょう。休みのたびに旅行に連れていってくれたことも良い思い出です。

そんな忙しいサラリーマン生活を突然辞め、父は32年ほど前に『ペンギンショップ(詳細は最下部)』という小さなお店を自宅近くで開店させました。(正確に言えば母がオープンさせたのですが、その後すぐに父が仕事を辞め、店主のようなカタチに収まりました)

『ペンギンショップ』は、よく学校のそばに存在している、駄菓子や玩具を扱うお店。(父は「ペンギンのおじさん」という謎の呼称で呼ばれていた)

開店して間も無く、地域の子供たちの間では知らない人がいないほどの、小・中学生の溜まり場になりました。

以来、小学生だった私は学校を終えると、まっすぐ自宅ではなく、店に帰り、閉店までの時間を父と一緒に過ごすのが日課になりました。遊ぶ約束などしなくても、お店には毎日必ず友達が遊びにきます。

お店があるだけにお菓子と玩具には不自由しません。閉店時間まで目一杯友達と遊びまくっていました。

ペンギンの息子(これも謎の呼称)という特別権限で発売日前日にドラクエやファイナルファンタジーの新作を手に入れ、プレイしていたのは、当時の自慢でもありました。

19時頃店が閉店すると、帰宅して家族揃っての夕食。

父のおかげで、家族や友達と過ごす時間がとても多い小学生だったように思います。

学校にいる時間以外は、ず〜っと父と一緒。

そうなると時には父とぶつかること、腹がたつこともありそうなものですが、私たちは一度もケンカをしたことがありません。

少年時代の私は超活発で、プロレスごっこから、エアガンでの撃ち合い、過激な花火遊びなどが大好きでしたが、ギリギリ人の道を外れるようなことはしなかったので、怒られたこともありませんでした。

中学生以降になると、毎日、柔道!柔道!柔道!の繰り返しの日々でとても忙しく、反抗期になる余裕もありません。だから父に反発したこともありません。

和やかで寄り添ってきた日々にはいつも笑い声が溢れていました。

社会人となってからも、しょっちゅう実家に顔を出し、共通の趣味であるプロ野球観戦についての話を楽しんでいました。

アンチ巨人で野球経験も持つ父の話は面白く、独自の視点はプロの解説者以上。

機動力や小技に頼るスモールベースボールが嫌いで、しっかり振り抜く柳田や浅村のようなバッティングを好んでいましたね。

亡き父の性格は穏やかで真面目。賑やかな場所が大好きな江戸っ子で、カッコツケマンでした

父の性格は、それはそれは真面目。

とにかく真面目で、穏やか。

他人に厳しく、身内に優しい(店で悪さするガキンチョは怒鳴り散らしていたのに、家では絶対に怒らない人 笑)

私たち家族だけではなく、自分の兄妹にもとにかく優しい人だったそうです。叔母に聞きました。

言葉はゴリゴリの江戸っ子で、江戸弁。

お祭りや人混みなど、賑やかな場所が大好きで、浅草寺やディズニーリゾートを愛していました。

逆に人混みが少ない場所が嫌いで、お祭りなどに行っても、盛り上がりが欠けるとすぐに帰ってしまうなど、変わった人でもありましたね。ディズニーも混んでいるほど嬉しそうだし。

体調を崩してから、「最後にもう一度だけ浅草に行きてぇなぁ。」と言っていたのを叶えてあげられなかったのが唯一心残りです。

晩年の趣味は、写真を撮ることとスーパー巡り。

写真は撮るのも撮られるのも好きなようで、若い頃の写真はかなりのカッコツケです。

カメラを向けると自然体では無く、必ずポーズをとる人でした。

写真中央が父。集団で撮る時は必ず中央に陣取ります。

写真を撮る時は必ずポケットに手を突っ込みます。

正直やりすぎでは…

推測ですが、石原裕次郎に憧れてたんだと思います。

そういえば、父と母は、この時代の人には珍しくハワイで結婚式を挙げています。このあたりもかなりのカッコツケマンですね。

親父カッケー!

70歳で『ペンギンショップ』を引退してからは、自転車で近所の花や風景を撮って周り、1日に数件のスーパーを巡る日々。

近隣の野菜や肉の相場は、スーパーの従業員よりも詳しかったはず。

ほんの1年半前までは自転車で毎日10kmも20kmも走り回っていたんですけどね。

一度体調を崩すと早いものです。

最愛の人の死。その悲しみを軽減するために葬儀や諸々の手続きがあるのではないかと感じる

ここ最近の父の体調を見て、“その時が近い”ということは、なんとなく感じてはいました。

それは父自身も同様だったと思います。

1年半ほど前から繰り返し救急車で運ばれ、入退院を繰り返していたこともあり、覚悟もできていました。

とは言っても、誰よりも同じ時間を長く過ごした父。死の当日は心が潰されるような思いでした。

私は長男ですから、葬儀で喪主を務めます。

父の死後は本当に忙しい1週間でした。

連日の葬儀社との打ち合わせ、お墓探し、親戚への連絡や、香典返しの手配、役所関連の手続き。。。

特に決まった信仰を持たない父ですから、お坊さんの手配も必要。

あっという間に葬儀当日となり、葬儀中もバタバタ。

『こんなに忙しいのか…』

と思うほどです。

ようやく一息つき、お線香をあげて父の死を振り返ると、その時には既に冷静に「死」を受け止められるようになっていました。

『人の死後、葬儀の手配や、さまざまな手続きに追われるのは、悲しみを軽減させる効果もあるのだなぁ…』

そんなふうにも感じられました。

あらためて振り返ってみると、葬儀や手続きなどのあの忙しさが無ければ、私も母も、最愛の父を亡くした悲しさで大きく消耗してしまったに違いありません。

母も高齢ですし、悲しみの大きさで倒れられても困りますからね。

6万年前から人類が「葬儀」を行ってきたことの意味(の一部)を理解できたような気もします。

さいごに

ここまで書いて確信を持てました。

やっぱりこの記事を書いて良かった。

この記事が、父を知り、父の死を知らない人に届くことを祈ります。

できればあの当時、ペンギンショップに遊びに来てくれていた、ガキンチョ(現在30〜40代)のみなさまにも届けば。

一点の曇りなく、父の全てが好きでしたし、全てを尊敬していました。

最後のその日まで、家族にそのような想いを抱かせた父を、私は心から誇りに思います。

千葉県柏市松葉町7丁目で20年以上稼働した駄菓子と玩具の店『ペンギンショップ』

1984年(昭和59年)頃、千葉県柏市松葉町にオープンした、駄菓子と玩具の店です。

オープン当初はお菓子とファンシーグッズを売る店としてスタート。

そういえば、オープンの日は綿菓子を無料で配ってましたね。私もモリモリ食ってた記憶があります。

ファンシーグッズは全く売れず、時代の流れと共に、プラモデル(主にガンダムやゾイド、ミニ四駆など)、ファミコンソフトなども扱うようになっていきました。

忍者ハットリくんのファミコンソフトが、何十本の飛ぶように売れていく様子を見ていたのが印象的でした。閉店後に展示用のファミコンでスーパーマリオブラザーズをプレイしまくったり…

チェッカーズや光ゲンジのブロマイドも置いてました。

中期には店内にアーケードゲームも設置。この頃はもう地域で知らない子供はいないレベルの知名度を誇りました。

一時は遊戯王カードとかも売ってたようですね。この時代になると私もよくわかりません。

そして、2006年?2007年頃、父も70歳を越え、閉店に至るわけですが、その頃はAKB48のブロマイドとかも売ってましたからね。

時代を感じます。

ちなみに『ペンギンショップ』の名前は、母がつけました。

名前の由来は『なんとなくかわいい響きだから』です。当時、柏そごうに入っていたファンシーショップ『オレンジショップ』からヒントを得たそうで。。。

実は私、ペンギンショップの写真持ってないんです。なんで撮っておかなかったんだろう??

もし持っている人いたら、連絡ください!!

そんなレアなもの見つかるとも思っていませんが。。。

柏市松葉町7-14-5 松葉第一小学校、松葉中学校のすぐそば。ここにあったんですよね〜。

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ABOUTこの記事をかいた人

落合正和

マーケティング・コンサルタント&Webメディア評論家&ブロガー
2010年よりソーシャルメディアマーケティングに注目し、現在はオフラインでの商圏分析とソーシャルメディアマーケティングを融合したナレッジをベースに、企業や政治家、プロスポーツ選手といった方々へのコンサルティング活動、講演活動を行っています。
著書:はじめてのFacebook入門【決定版】(秀和システム)