世の中が不寛容で、窮屈で、生きづらくなっている気がする
落合です。
一時期、「人生で大切なことは〜」ってタイトルの本が沢山出ていましたよね。私にもそんな存在があります。
今日はちょっとお気楽な気持ちで、ここ最近感じていることをブログを書こうと思います。
私はこのところ世の中が不寛容で窮屈になってきている気がしてなりません。
消防士や警察官が制服姿でコンビニに寄ると、クレームの電話が入れられたり、子供の声がうるさいからと、幼稚園や保育園が開園を断念させられたり、テレビのCMで気に入らない表現があったら「不愉快!」「見苦しい!」と苦情を入れ…
世の中 十人十色。生きてりゃ気に入らないことも、腹たつこともある。育ってきた環境が違えば、感じ方も違う。それはわかるんですけどね。でも、怒りを他人にぶつける人が多すぎる気がするんですよ。
芸能人の不倫は重犯罪扱いだしね。
時には相手が再起不能になるまで叩きのめすようなことも多いような気がするのです。
インターネット、そしてスマートフォンが普及して、誰にでも直接意見を届けられるようになった。それは、とても素晴らしいことなんだけど、物事には必ず良い面、悪い面がある。攻撃的に相手を傷つける為だけのポスト、コメントがカンタンにできてしまうのは、負の側面だなぁと思います。
所謂私刑ができるようになっちゃってる。
バカッターとか、やっちゃった人に対しては私も「本当にお馬鹿だなぁ」と思う反面、過去の投稿からプライベートな情報なんかも全部掘り返して晒されちゃって、「そんなに執拗に追い回す必要ないっしょ」とも思うわけです。
社会に適合する前の未熟な未成年までも私刑の対象になり、その後の人生まで叩き潰す結果になっている。反省も更正も関係ない。叩けるだけ叩く。
世の中が実に不寛容になってきているように感じます。
人気YouTuberさんたちも、凄まじい炎上ストレスの中、動画をポストしていると聞きます。
私自身もテレビ出演の際、ちょっと尖った意見をすると、すぐに誹謗中傷を含んだ激しいメールが届きます。
うん、実に窮屈だ。
クレイジーキャッツのようなバカバカしい歌を真面目に歌える世の中でありたい
世代では無いんですけどね。
説明が面倒なのでリンク貼っときます。
ハナ肇とクレージーキャッツ
父が植木等さんを大好きで、私もその影響を受けて育ちました。クソ真面目であまり笑顔を見せない父が珍しく笑うのが、植木等さんのテレビ。
参考:ごく普通の一般人として生涯を終えた最愛の父。亡くした想いを記録に残そうと思う。〜柏 ペンギンショップと父の思い出〜
小学生くらいの頃にリバイバルシングル『スーダラ伝説』が大ヒットしたこともあり、「なんて面白くてカッコいいおじさんなんだ!!」と感じた記憶があります。
幼少期の私はひょうきん族でも、ドリフターズでもなく、クレイジーキャッツだったの。明らかに世代がおかしくて友人とも話が通じない(笑)
当時、植木等さんの出演する番組は全部録画して観ていたので、ザイオンス効果が効きまくり、顔を見れば親戚のオジサンのように感じるほどでした。
残念ながら2007年に肺気腫による呼吸不全で亡くなってしまうのですが(実は私の父と死因が同じ。なんだか不思議な感じです。)
素顔は頑固で責任感が強く、きわめて真面目な植木等さんが、高度経済成長期のモーレツ企業戦士たちの為に「無責任男」を演じて世の中を明るくしてくれていたわけです。絶対に自殺者の数を減らしてますよ。
私も植木等さん、そしてクレイジーキャッツのみなさんから、モーレツに頑張りならも、適度に力を抜き、人生を楽しむことを教わりました。
いま、この窮屈な世の中にクレイジーキャッツが居てくれたらなぁと思うけど、犬塚さん以外のメンバーはみんな亡くなってしまった。
クレイジーキャッツのようなバカバカしい歌を真面目に歌える世の中でありたいですねぇ。。
今じゃありがたいことにYouTubeでシャボン玉ホリデーも観られます。
クレイジーキャッツを知らない人はぜひ観て欲しい。仕事に疲れた人、人間関係に疲れた人はぜひ観て欲しい。一緒に歌えばきっと元気になれます。
ちなみに人生で大事なことは、タイミングにC調に無責任らしいですよ。
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